中学受験 偏差値30台からの逆転合格

六年生夏まで一番下のクラス、そこから準御三家に合格するまでの経験をまとめたブログ

【六年生 2月(1)】 東京入試

千葉入試後

この10日間は、一度解いたことがある過去問をもう一度解くことにしました。新しい問題を解いて実力(「分かる」「できる」)をつけるよりも、問題形式になれる(「解ける」)ことを重視。

 

志望校・併願校はいくつかありますが、チャレンジ校の第一志望校にしぼって過去問を解くことに。第一志望校は複数回受験のある学校で、1回目は過去5年分、2回目は過去3年分、それぞれ解きました。また過去の年度から順に解いていき、2周しました。

 

2021年以外は合格ラインをこえていましたが、2021年は1回目、2回目とも合格ラインをこえることができず、不安になりました。とくに得意の算数と理科で点が取れていないことが気がかり。

(算数で取れないことで失敗するケースが何度もあったので)

 

1月30日までにすべてを解き終わるようにしました。1月31日は、過去問のうち、この10日間でまちがってしまったところの解き直しに時間をついやすことに。

 

千葉入試で合格を1校押さえたこと、第一志望校の合格ラインをこえたことが多くなったことから、息子からは本気じゃない(だらけた)感じが・・・。まずいと思いながら、2月1日をむかえました。

 

2月1日 朝・昼

朝、いつもより少し早くおき、ご飯をたべて毎日のルーティンをやる息子。おにぎりと昼ご飯を用意して息子・妻といざ出陣。息子は、電車のなかでもいつも通りよくしゃべっていました。

 

第一志望校に無事到着。時間に余裕があったので、学校が用意した待機所で待っていました。そこには他の受験生も多数いました。

 

そこでも息子はいつも通りぺらぺらとよくしゃべっていて、緊張感がまるでない。これはマズイと妻と目をあわせました。そのまま時間がすぎ、息子は入試会場に入っていきました。妻と私は大丈夫かなとの不安でいっぱいでした。

 

入試会場からでてきた息子の様子がどうもおかしい。話をきくとあまりできなかった様子。「いまは午後入試に集中しよう」と話しました。午後入試も終わり、帰路につきましたが、終始落ち着かない息子でした。

 

2月1日 夜

午前の入試結果がでました。

 

不合格

 

中学受験の現実を目の当たりにしました。親の不安は的中、息子もショックをうけていました。夜ご飯をたべているとき、ポロポロと涙をながしていました。

 

塾の先生に相談するかと問いかけたところ、「うん、相談する」との返事。そこで、四谷大塚に電話しました。そして、私から先生に不合格を報告するとともに、当日の様子と気のゆるみが不合格につながったかもしれないことを伝えました。

 

塾の先生から息子に対しては「第一志望校の問題は難しい。入試前に問題を解いてギアを入れなさい」とのアドバイスをいただきました。

先生からみた息子は、「集中するとまわりの音がまったく聞こえない」。それを踏まえてのアドバイスだったと、合格報告のときにお聞きしました。

 

その後、午後の入試結果も「不合格」と判明しました。

 

「本気」を引き出す作戦

2月1日午前の入試会場からでてきた息子の様子を見た妻と私は「不合格」を予感していました。そして、息子が午後入試をうけている間に作戦を立てることに。

 

入試に対して、まだ「本気」になっていない(なんとなく受かると思っている)。そこで、入試結果(現実)を本人がその目で見て、しっかりと向き合う必要があると考えました。

 

これまでは私がウェブサイトを開き、その横で妻と息子が見るというものでした。しかし、2月1日の結果は、息子がウェブサイトを開き、結果を見る。その姿を妻と私が正面で見る(受けとめる)ことにしました。

 

実際に不合格を見てショックをうけたこと、そしてポロポロと涙をながしたことは、結果として本人の「本気」につながったと思っています。

 

また2月2日午前はそのままにしつつ、午後の志望校を変更しました。

2月1日午前・午後を落とした場合、合格有望校を受ける予定でした。しかし、息子の「本気」を引き出すため、実力適正校を受験することにしました。

(2月1日の午後入試の間に過去問を買いにいきました)

 

塾の先生と話した後、お風呂に入って気分転換した息子。そこで、2月2日午後の志望校変更を伝えました。息子は「分かった、過去問を解く」との返事。

 

このときの顔はいまでもわすれません。覚悟をきめた、いい顔つきでした(シュッとしていました)。過去問を解き、採点したところ、合格ラインを上回っていました。妻とともに「覚醒した(ゾーンに入った)」と感じた瞬間でした。