勉強とは
親子の会話
あるとき、息子に算数を教えたことがありました。「順列」と「組合せ」です。高校数学でも扱うこのエリアは、基本原理を理解するまで、ちょっと時間がかかると思います。五年生のときの週テスト前の親子の会話を紹介します。
親 「順列は順番。1番目、2番目を違うものとして扱うよ。例えば、A、B、Cの3つがあって、その中で2つをとって並べるとき、A・BとB・Aの順番は別ものとして扱うよ。なので、1番目は3通り。2番目は2通り。だから3×2の6通りになるからね」
子 「うん」
親 「でも、組合せは順番と違って1番目、2番目はない。さっきの例でA、B、Cから2つをとって組合せをつくるとき、A・BとB・Aは同じものとして扱うよ」
子 「うん」
親 「だから、順列の6通りから1番目と2番目の違いをなくすために、順列の6通りを2で割る。組合せは3通りになるからね」
子 「うん、わかった!」
翌日の週テスト。一行問題で上の例とほぼ同じ組合せの問題がでました(Aクラスなので、基礎問題が繰り返し出題されます・・・)。息子の答えは「6通り」。本人によると「3×2」と思ったとのこと。
順列と組合せの違いを「昨日教えたよね」と聞いたところ、「忘れた」とのこと。前日に同じ説明を3回繰り返したにもかかわらず・・・、息子が順列と組合せの基本原理、違いを理解していないことにガックリしました。
その後、「怒り」ではなく、「なぜ」がでてきました(笑)。
勉強とは
ここで気付いたことは、勉強は教えてもらうものではなく、自ら学ぶものだ、と。学ぼうとする状況にないとき(例えば、基礎力が足りない、学ぶ姿勢がない)、何を教えても本人に刺さらないし、ただの念仏でしかない、と。
そうだとすると、いま息子はどういう状況で、学ぼうとする状況にもっていくにはどうしたらいいか、という発想になりました。
あたり前といえばあたり前ですが、息子にはつい熱が入ってしまい、このように客観的にみることは難しかったな、と思いました。